7.みんなの広場 能登俊治さんの投稿 「双葉山と木鶏《もっけい》」 その3 吉川氏は後に文化勲章を貰う日本を代表する国民的大作家ではあるが、小学校しか出ておらず若い頃はどんな素晴らしい小説を書いても純文学のインテリ作家や評論家からは、妬み嫉みからたかが流行作家大衆作家といわれのない蔑みを受けていた時期があった。 また吉川氏は「虫りんりん、嵐の中も 鳴き止まず」という言葉を残している。私にはこの言葉は世間から軽んじられ踏みつけられ、世間の片隅で泣き崩れている弱い者小さい者への励ましと慰めの言葉のように思われる。例え世間の片隅で泣き崩れていたとしても懸命に生きようとしているならば、誰かがその声を聞いているぞ見ているぞと呼びかけているように思われる。私はちょっと苦しくなると無意識のうちにこの言葉をお題目のように唱え、自分を奮起させていることがある。更には吉川氏は「我以外、皆我が師なり」という言葉を座右の銘としていたと言われる。それ故に吉川氏は「宮本武蔵」「三国志」「水滸伝」と強いもとの心を深く描ける小説が書けたものと思われる。 私事で恐縮ですが失明し半ば人生の落伍者落ちこぼれの気分で家に帰って来て、風邪を引いて子供の頃からの掛かりつけ医の「盲腸先生」の所に診察を受けに行った。盲腸先生というのは誰でもがお腹の調子が悪いと診察を受けに行くと、先生はどれどれとお腹を触診し、うん盲腸のけがあるといい、注射と薬で盲腸を散らすから大丈夫だ。あと調子が悪かったらまた明日診察に来なさいという先生で、町の人は盲腸先生とあだ名し揶揄していた。けれども不思議に翌日には皆よくなっていて、先生はちゃんと分かっていてそう言ってたものと思われる。私が診察を終えて玄関で靴を履いていると、先生は態々玄関まで追いかけて来て娘さんが私と同級生であったこともあってか、いきなり鬼のような形相で「能登君分かっているだろうな克己心だぞ。克己心を無くせばあんたの人生はたちまち崩れ落ちるぞ。分かっているな克己心だぞ克己心を忘れるなよ。」と激しい口調で何度も繰り返し、初めはギョッとし盲腸先生の馬鹿な私への強烈な励ましの言葉だと思った瞬間、胸が熱くなりシドロモドロに「はははい」と返事を言うとくるりと背を向け診察室へ戻って行きました。盲腸先生と揶揄していたがやはり学問と教養を積んだ人間の使う言葉は重く、ただの人の使う言葉とは違うなと思い盲腸先生は馬鹿な私の頭に最も有効な処方箋を書いてくれたのかもしれないと思うと、玄関を出るととたんにどっと涙が溢れ風邪などどこかにいっぺんに吹っ飛び「よーし馬鹿は馬鹿なりに」と自分に言い聞かせ築城十年、落城一日と言うが失明し落城寸前であったが築城にかけてみようと決意を新たにしたものでした。人には人の生きた重い言葉が必要なものだと思ったものでした。 さて相撲界では双葉山のあまりにも強い横綱相撲にどこかに弱点はないかと誰もが目の色を変えて探していたところ、ある力士が双葉山の何気ない仕草からもしかすると片方の目が見えないのではと気付き、その噂が相撲界の水面下で徐々に広がり始めていった。70連勝目の相手力士はそれを知ってか知らずか立ち合いと同時に双葉山の見えない目の方に飛んで目標を失った双葉山は70連勝に至らず敗れた。敗れた双葉山はその日のうちに漢学者に「われいまだ木鶏にいたらず」と返電したと言われる。 双葉山は引退するまで自分の右目が見えないことは誰にも話さず弁解もしなかったと言われる。以上です。 おわり ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 投稿していただくときは、大体1,000字以内にまとめていただくと、掲載しやすくなります。 (送付先) 〒011-0943 秋田市土崎港南3丁目2の58 秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018-845-7772 (メールを利用の場合は) アドレスtenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。