7.みんなの広場 能登俊治さんの投稿 「双葉山と木鶏《もっけい》」 その2 双葉山は戦前、年間4場所で1場所11日間の時代に優勝12回連続69連勝の記録を持つ大横綱である。現在においても69連勝は未だ破られておらず、大横綱の名前を上げろと言えば第1に上げられるのは双葉山だと言われる。 双葉山は決して人一倍大きな体でもなく、前頭に上がるまでは抜群の成績で上がってきた訳でもなく、ごく普通の成績であった。 双葉山はある時に相撲道を究めるにはどうすれば良いでしょうかと有名な漢学者に助言を求めた。すると漢学者は、中国の故事に木鶏と言う話しがあるが、その木鶏を目指してはどうかと助言を受けた。木鶏とは木でつくられたけんか鶏のことで中国のその地を収める領主が血統も申し分ない由緒正しい優秀なけんか鶏の若鶏を手に入れてそれを調教師に委ね、調教の出来具合いをその都度報告するように命じた。 調教が進み「だいぶ戦う闘志が出てきました。」と報告を受け、次には「やっと無敵になりました。」と報告を受け、領主は「それでは完璧に調教が出来たのだな。」と言うと、調教師は「いや未だ駄目です。何故ならば相手を見下すようになったからです。」と答え、最後に「木鶏になりました」と報告した。双葉山はその助言を受けて稽古場に木鶏と言う標語を掲げ、激しい稽古に打ち込んだと言われる。心技体三位一体の揺るぎない堂々たる大横綱を目指したと言われる。 双葉山はどんな不利な立ち合いでも決して待ったをせず、受けて立つ風格のある横綱相撲を取ったと言われている。そして69連勝の連続記録を積み上げていった。 双葉山が連戦連勝を続けている時にある料亭で偶然にも国民的大作家の吉川英治氏に出会い双葉山は「先生何か色紙を書いていただけませんでしょうか」と申し出ると吉川氏は双葉山の顔をじっと見つめてから紙片にさらさらと文字を書きそれを双葉山の手に渡した。それをじっと見ていた双葉山の目には見る見るうちに涙が溢れ大粒の涙をボロボロとこぼれ落としたと言われる。そこには「江戸中でひとり淋しき勝角力」と書かれていたそうである。当時の日本の国情は満州事変から日中戦争と対立では日本軍は連戦連勝で勝利の熱狂が渦巻き日本中を駆け巡り土俵上では双葉山が連戦連勝で座布団が舞い上がり国技館も勝利の熱狂のどよめきに包まれ双葉山は相撲の神様勝利の神様に祭り上げられ絶対に負けられない孤独で苦しい立場に立たされていった。 また双葉山には相撲取りとしては絶対に知られてはならない大きな弱点を持っていた。一つは彼の右目は6歳の時の怪我で程んど見えなかったことである。もう一つは彼の片方の手の小指が潰れていたことである。たかが小指と普通の人は言うがまわしを掴み渾身の力を振り絞り相手力士を投げ飛ばす相撲取りには致命的な弱点と言われていた。そうした孤独で苦しい胸のうちは誰も知るまいと思っていたが今目の前に座っている吉川氏だけが日本中でたった一人静かに自愛に満ちた穏やかな眼差しで己の胸のうちを見つめていたことを知り武士は己を知る者の為に死ねると言うが己を深く知るものの心にふれ双葉山は万感の思いが込み上げてきて思わず落涙したものと思われる。 12月号へつづく ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 投稿していただくときは、大体1,000字以内にまとめていただくと、掲載しやすくなります。 (送付先) 〒011-0943 秋田市土崎港南3丁目2の58 秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018-845-7772 (メールを利用の場合は) アドレスtenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。