6.みんなの広場 〇エッセイ風自分史・三郎 エッセイ風自分史・三郎 その三十 武田さんらしい辞めかたをしてほしかった 武田金三郎 一九八五年の年度末、私は四十二歳で営林署生活にピリオドを打った。米内沢営林署から二ツ井営林署に転勤したころ、すでに同僚の十分の一すらの仕事ができなくなっていた。能代営林署に転勤してからはそれだって妖しくなってしまっていた。 「あの人、昼から酔ってるんじゃないの」 こう囁かれたのは、列車に乗り込んで座っている人の太腿の上に座ろうとしたときであった。五能線の車両は古くて車内が暗かったもので。秋分の日が怖かったですね。ここからドンドン日が短くなっていくので。勤務時間終了の五時、雨が降っているときなど、署を出るときすでに暗くなっている。もう恐怖でした。 通勤の往復、わずか十数分、歩き慣れた道の右側をなぞるのに神経が疲れるのにもいら立つ。こうして出勤しても、私がやらなければならない仕事など無いのに。無いのに机にすわって平然と構えていなければならない。 二ツ井貯木場ならまだしも、能代営林署は他署に比べて職員が多い。する仕事もないのに毎日毎日。無意味な精神的疲労こそ厄介なものはない。そうでない自分を演出し、内心まで演出させて。 「武田さんらしい辞め方をしてほしかった」 全林野秋田地方本部文芸サークル『こだま』の会長、Сに退職の意思を伝えたらこんな返事が返ってきた。彼等しい反応ではあったがガッカリ感は否めなかった。こんなこと、彼しか言う人はいない。 二ツ井営林署貯木場事業所に勤務していた当時、私の机の筋向いに座っていたKは、脳梗塞で右半身が麻痺していた。杖なしでも歩くには歩くものの、事務仕事は私同等できなかった。彼は出勤すると机の上にB四サイズの薄い帳簿を載せ、ペン皿、算盤などを置く。そうしてジッと座っていて、周囲から話しかけられると話を返す。ときどき席を立つ。こうして勤務時間をやりすごしていた。 Kが脳梗塞を発症したのは、署のレクリエーションとして行われた野球大会応援でのことである。彼には家族がいる。脳梗塞を患っても、労働者であるからには働いて給料を得る権利がある。そうして、当局は彼に仕事を与える義務がある。彼が毎日出勤して来るのはそのためだ。 Сも私にこれを求めている。そうあるべきだ、と私も思う。私は四年間Kと向かい合って座ってきた。彼の辛さが分るのだ。Kの辛さをこの先二十五年も耐えていかなければならないのか。その強さは私にはないし、そうしなければならない価値も。 こんな苦衷を、仮に仲間からであれ言われたくないし言うべきでもない。Сは小説を発表してきている。彼は熱心な組合活動家である。文学という手法で仲間に問題提起をしなければならない。 作品の良し悪しより何を訴えようとしているのか。これが大事だ。Сは今もこれを貫いている。それで私にも最後まで労働者魂を保持して欲しかったのだと思う。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先) 〒011-0943 秋田市土崎港南3丁目2の58 秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018-845-7772 (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。