6.みんなの広場 〇エッセイ風自分史・三郎 武田金三郎 その三一 羽化のときに 四十二歳で退職し、1人きりで家にいたあのころ、さすがに悶々としていながら『羽化のときに』を出版している。自分の作品が些細な額でもいいから、金になるとしたら鍼灸あんまマッサージ師にならなくて済む。『羽化のときに』にはこれを賭けたこと、初めて白状する。按摩マッサージ師など、自分には無理だと思い込んでいたのである。 私は一対一で向き合うのがとっても苦手、と決め込んでいた。なにしろ、公務員試験で合格しながら営林局での面接で二度も落とされたではないか。これがトラウマになっていた。鍼灸あんまマッサージ師だと、一対一から逃げることができないのだ。 『羽化のときに』を書く前年の秋、私は娘を連れて檜山川ほとりに自生しているオニグルミを拾うために出かけた。娘にいいところを見せようと、両手を伸ばしてオニグルミの枝を掴み、エイヤーッと逆上がりをしようとしたとたん、枝がポキッと折れ、したたか背中を打ってしまい、そのまま動けなくなってしまった。どうも腰の骨が折れたらしい。 保育所に行っている三歳の娘はぼんやりと見つめているだけ。しばらくそのまんまにしていたが、なんとかかんとか立ち上がってゆらゆらと家まで辿り着いたものの、寝たら動けなくなった。息子たちが帰ってきたので救急車を呼んでもらい、向かった先はН外科病院であった。 ここの院長、女子中学生にお小遣いを握らせて卑猥なことをやっていた。この子の金遣いが派手であったので露見したのである。話があっちこっちに飛ぶが、中学生のС君を児童相談所に連れていって相談を受けたこともあった。あのとき相談所で、この女子中学生が子どもたちとまるで天真爛漫に遊びたわむれている光景を目の当たりにした。 Н外科病院に運んでもらったのはこの院長と接触したいためであった。それやこれや、羽化する直前に等しい中学生たちにこうして接触したり見たりしていたことで、これを書いてみたくなったのである。けれど『羽化のときに』は、羽化して私から飛び立つことはなかった。 五年後、盲学校保健理療専攻科三年生になった年、同級生の二田富義《とみよし》が魁新報紙を手にして寄宿舎の私の部屋を訪れた。彼は弱視ながらどうにか新聞は読める。なんでも、県南の女子高校生が全国読書感想文コンクールで『羽化のときに』を取り上げて入選した記事が載っている、四十万人ほどの中からだとも。これには仰天した。 出版された本は一人歩きする、とは聞いていたが、『羽化のときに』を手に取ってくれた高校生がいたことに、私はひどく感動した。彼女はどんな感想文を書いてくれたのだろう。県南の高校だから、お願いしたら複写して届けてくれるかもしれない。 けれどこれができない。あれは失敗作であったのだ。 私にとって都合よく誤解して読んでくれての入選であったとしたら、言い訳のしようがない。むろん、選考委員の誰1人として作者を知らないし読んでもいないだろう。それで取り寄せることができなかったというから、この作者は自分の作品によっぽど自信が持てなかったわけだ。因みに腰は第五腰椎横突起骨折で、一ヵ月の入院であった。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先)   〒011-0943 秋田市土崎港南3丁目2の58  秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018-845-7772  (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。