6.みんなの広場 〇 能登俊治《のとしゅんじ》さんの投稿 はじめて、お便りいたします。日頃から図書の貸出には大変お世話になっております。 自ら動けない私には、読書は日本中を世界中をめぐり、見聞を広げ多くのことを学び知識を蓄積できる唯一の窓口になっております。 それによって、盲人の壁を乗り越えて日常生活においても治療においても一般の人たちと支障なく意見を交わし、楽しく会話し、さらに多くのことを学んでおります。 読書では様々な人の経験生き方、人生、優れた人の英知に触れることで励まし、元気慰めをもらい、とかく視野が狭くなりがちな私に新たな目を開かせてもらい、時には好奇心を奮い立たせてもらい、背筋をまっすぐに伸ばし、生きる力さえもしばしば与えてもらっております。 それも皆様方の図書館での働きのおかげの賜物と思い深く感謝いたしております。 今回自分勝手に文を書いてみましたが、不十分な文でお手数をお掛けすると思います。規格上不都合でありましたなら、没にしても構いませんので気を使わないでください。いずれにしても大変お手数とご面倒をお掛けすることと思いますがよろしくお願いいたします。 それでは皆さま方の図書館での働きに深く感謝しつつ失礼いたします。 「男谷検校《おたにけんぎょう》と勝海舟」 男谷検校は勝海舟の曽祖父にあたる人です。男谷検校の子が男谷平蔵《へいぞう》で、その子が勝家に養子にいった勝小吉《こきち》で、その子が勝海舟です。男谷検校は越後の国の男谷郷《おたにごう》或いは、小千谷郷《おじやごう》の出身といわれている。 彼は17、18歳のころに杖一本を頼りに、懐に銭300文を入れて江戸に出てきた。ところがある雪の日に幕府の奥医師《おくいし》石坂宗哲《いしざかそうてつ》の屋敷の門前で倒れ苦しんでいた。そこに登城《とじょう》しようとしていた石坂宗哲が籠の中から彼を見つけ哀れに思い、中間部屋《ちゅうげんべや》に引き取り介抱するように命じた。 当時はどこの中間部屋でも町方の取り締まりが及ばないことをよいことに毎夜賭博が開かれていた。賭博で負けた中間たちには田舎の青年の300文の銭も借りるに値する金であった。そこで彼は小口の融資を繰り返し、たちまち1丁2分の金を手にいれた。 それを聞いた石坂宗哲は、彼の利殖《りしょく》の才《さい》に感心し、さらに新たに1両2分を与え屋敷を出て独立することをすすめた。 幕府では盲人の保護政策として、盲人の高利貸しを公認し、借りた金を返さないと借り手を厳しく罰した。 その後、彼は莫大な富を蓄え、江戸に17か所の土地を設けたり、各大名に多額の金を貸し付けたり、特に水戸藩には莫大な金を貸し付けたといわれている。 しかし彼自身は日頃の生活では常に綿服《めんぷく》を身に着けて贅沢をせずにくらしていたといわれている。 男谷平蔵には3万両で無役ではあるが旗本小普請組勘定頭《はたもとこぶしんぐみかんじょうがしら》の株を買い与え幕臣の身分にしている。このときに幕臣の身分をもったことは幕府の身分制度のもとではその後勝海舟が世に出るきっかけを作り、江戸無血開城の偉業を果たすことに決定的意味をもたらすことになった。 男谷検校は死に臨《のぞ》み手文庫から貸し証文を全部出させすべてを焼き捨てて亡くなっていったといわれている。 次号につづく 〇エッセイ風自分史・三郎 二八 変な女(その一) 武田金三郎 団体交渉があった日、昼になると執行委員たちはいつものように前田食堂の二階に上がり、昼食を済ませるとたちまちマージャン卓を囲んだ。そうしてこれもお決まりのコース、当局との窓口折衝を担当しているM執行委員が、これから検討時間に入ることを通告するための電話をしにいく。 本来の検討時間は団体交渉が生き詰まったとき、双方が席を移して打開策を模索するためのものである。 造林係長のM執行委員は、数年前まで全林野秋田地方本部青年夫人部書記長の任にあった人物である。それがたちまちのうちに全林野二ツ井営林署分会の腐れ切った執行部体制に取り込まれてしまい、軟体動物になってしまった。こんな場にいられるものではない。 「武田、今は団交の検討時間になっている。外に出るな」 私は彼等に声もかけずに帰ろうとしたら、T書記長がドスをきかせた声で言った。黙殺してピシャリト強い音をさせて戸を閉め、憮然として廊下に出ると、数歩先にI子がぼんやりと突っ立っていた。 前田食堂の二階の廊下は三尺ほどと狭い。それに左右が部屋になっているせいで昼でも暗い。それだから昼夜関係なく電灯をつけている。I子は私が接近しても脇に寄ることなく、真っ直ぐに私を見つめているだけであった。私はI子の両肩に手をかけて彼女を引き寄せ、唇を重ねた。I子はジッとしている。数秒間そうしてから、そっと片方の手に力を入れると、彼女は素直に脇に寄ってくれた。 「武田さーん、気をつけてよー。ここの階段危ないからー」 ここの階段は狭くて傾斜がきつい上、中ほどで「く」の字に曲がっている。階段を下りかけたら背後でI子の声がした。彼女の口からあんなにもか細くて優しい声音が発せられたことに私はひどく感動した。I子は私の目が悪いことを知っていた。 夏の土曜日の午後、私とHが前田食堂の居間に上がりこんでビールを飲んでいたあの日、出前の空き丼を回収して戻ったI子が、Hが小便に立って私と二人きりになったとき、彼女は一度でいいから武田さんとやってみたい、と呟いたことがあった。私はそれを無視した。 週が明けた月曜日、貯木場に出前に来たI子と裏口で鉢合わせしたときのことである。彼女は一瞬立ち止まって、心から蔑むまなざしを私に差し込んできたのであった。二日前の土曜日、I子は私に告げるのに彼女なり、かなりの勇気が必要であったと思う。私は彼女の自尊心を傷つけてしまったのだ。蔑みのまなざしはそれ故のものである。それが今のキスで許された。 あれから二年ほどして能代営林署に転勤したのだが、それまでの二年間、I子の記憶が私からスッポリと欠落している。彼女が許してくれたことで安堵したせいだろう。七十六歳の今、ふっと思う。I子も六十路を歩いている。姉に育ててもらっていた彼女の子どもだって四十路を歩いていることだろう。一緒に暮らしていてほしい  ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先)   〒011-0943 秋田市土崎港南3丁目2の58  秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018−845-7772  (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。