6.みんなの広場 利用者の皆さまからの、お便りや作品を紹介します。 エッセイ風自分史・三郎 その二五 私の結婚 武田金三郎 私が結婚をしたのは一九六八(昭四三)年三月二十四日、二十四歳のことである。妻なる彼女を知る前、私は三十歳前に結婚をするなど思いもしなかった。三人の妹たちの結婚を見届けたら自分のことを考えよう、などと偉そうに思っていたのである。 それがこうなったのは、あのころ高度経済成長の余波が遠い秋田県にも及んできたから。そうして長兄も次兄も働いていたし、すぐ下の妹も働くようになっていた。実家を新築した借金はあったものの、何十年かのローンで返済できる世の中になっていた。 この年四月、私は小滝担当区事務所から米内沢《よないざわ》営林署本署勤務になった。 「四年間辛抱してくれ。そうしたら本署に呼び戻す」 当時の営林署長がこう約束したのを履行してくれたのである。妻なるT子はその年正月、山奥の分校から下界に移動することを内々に知らされていた。この二つが結婚を決意させる条件整備になったのである。 披露宴は会費制で行われた。Mという森吉小学校本校の教師がいて、彼は温厚で、子どもたちはむろん、地域の大人たちを含めた誰からも信頼されている人物であった。彼を頭に、職場,親戚,友人からなる「武田金三郎君とСさんの結婚を祝う会」が立ち上げられ、一切がここで決められた。会費は三千円であったか四千円であったか。会場は能代市農協ホール、九十人ほどが祝ってくれた。 二人とも余分な金など一銭も持っていなかった。それで二人して五万円ずつ、計十万円を労働金庫から借り、冷蔵庫その他最小限の家財道具を揃えた。 当初、森吉町にある営林署住宅を借りたのだが、二ヵ月ほどして妻の妊娠が明らかになった。妻は上小阿仁村小沢田《かみこあにむらこさわだ》小学校勤務になっていたので、米内沢から未舗装のガタガタ道をバスで往復しなければならない。私はこれを心配し、小沢田集落にある教員住宅への移転を決意した。ここから私が米内沢営林署にバス通勤すればいいことだ。 ただ、これには別の重苦しいいきさつもある。小沢田小学校のK教頭が米内沢から自家用車で通勤していて、妻は一時期、往復を便乗させてもらっていた。がこの教頭はマダムキラーであること、半ば公然の噂になっていた。妻とは家庭内離婚でいるとも。彼はスポーツマンで折り目正しくすら見える。 けれどそれでもかもし出す雰囲気はあるものだ。私の営林署には彼とスキーを通じての刎頚《ふんけい》の友なる人がいて、彼もまた女性の噂が絶えなかった。絵心もあって、誰それのヌードを描いたなどとも。この彼から、教頭の車で往復していることを話題にされたとき、むろん懸念はなかったのだが不愉快であった。それでこれをやめさせた。 教員住宅は長屋になっていて、私たちを含め三世帯が入居していた。1人の奥さんに盗癖があり、のみならず、夜に外から寝室を盗み見している、と教えてくれる人がいた。苦情を言ったら車のタイヤ三本に穴をあけられた。それで民家の納屋に引っ越すはめに。 二人目の子どもが出来た年と翌年の一時期、車を運転していたことがあるがこれについては後述する。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先) 〒011-0943 秋田市土崎港南3丁目2の58 秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018-845-7772  (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。