6.みんなの広場 利用者の皆さまからの、お便りや作品を紹介します。 エッセイ風自分史・三郎 その二三  星が見えない 武田金三郎 小滝担当区事務所勤務の四年間、私が下宿している家に、兼光《かねみつ》という中学生がいることは前述している。下宿して二年目の蒸し暑い夏の夜、二人は 私の部屋のベランダから玄関の屋根に這い上がり、涼風を満喫することしばしばであった。 「すっげえ、満天の星だ」 兼光が首をありったけ曲げて天を仰ぎながら言った。私も天を仰いだのだが星など見えない。 「星なんか一つもないじゃないか」 私が言うと兼光はキョトンとして振り向いた。「あんなにあるのに」、と不思議そうに言う。あらためて天を仰いだらあっちに一つ、こっちに一つ、とかすかに 数えることができた。強く輝く星しかみえなくなっていたのだ。瞬間、私は冷水を浴びせられたごとく頭が冴えた。病気がここまで進んでいたとは。次いで一気に 疑問が晴れていったのである。 中学生当時、次兄と隣の八郎潟町の銭湯に通っていたころ、私の自転車のライトが暗かったので次兄を先に走らせていた。あれはライトが悪いのでなく、私の夜盲の せいであったのだ。体育でソフトボールをしているとき、フライで飛んできたボールもゴロで向かってきたボールも、『来た』とそこに体を移動させたとたん、 ボールを見失ってしまったのは視野狭窄のせいであった。 山を歩いてしょっちゅう枝に頭をぶっつけたり、根っこに躓いたり。それ等の全てを運動神経とか動体視力が劣っているせいにしていたのだ。 高校二年生の春、三,四時間のうちに左目が失明して入院したあのとき、これとは別に網膜色素変性症なる疾病があることを告げられてはいた。けれどあれは遠い 将来、六十歳前後に失明に至る、かも。あのころ六十歳はまさに遠い将来のこと。それも断言ではなくて、かもしれないと。 こうして私は日赤入院当時の主治医、今は開業しているY眼科医院を、ほぼ五年ぶりに訪れた。「回復はできないが進行は食い止められます。Y医師はこう言った。 通院が困難なので能代市に三つある眼科医院を渡り歩いたのだが、いずれもY眼科医院と同じことを言い、同じ薬を処方した。しかし症状が年々徐々に進行していく のが分る。医者はどうして真実を教えてくれないのだろう。 能代山本組合病院のF臨床検査技師と友人になったのは私が三十歳直後のことである。彼からこの病気の文献をコピーしてもらい、手にすることができた。 網膜色素変性症症候群。これが正しい名称で、この病気には目だけでなく耳の疾病、二つの合併症、知的障害、無精子症など多様な症状が発症することがある。 優勢と劣勢二つの遺伝形態があるが、私の場合は優勢らしい。 私は初めてこの病気の全貌を知ることができた。仮に結婚前これを知っていたら、果たして結婚をしていたかどうかは分らない。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先) 〒011−0943 秋田市土崎港南3丁目2の58 秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は)018−845−7772 (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。