6.みんなの広場 利用者の皆さまからの、お便りや作品を紹介します。 俳句の投稿 梅林に朝日集めし過疎の里  萩野ケイ (ばいりんに あさひあつめし かそのさと) 受診日に友も受診の春隣  宇佐見咲子 (じゅしんびに とももじゅしんの はるとなり) カクテルに春満月を浮かべましょ  柿崎妙子 (カクテルに はるまんげつを うかべましょ) 人は傘犬はずぶ濡れ朝時雨  小笠原秋一《しゅういち》 (ひとはかさ いぬはずぶぬれ あさしぐれ) 春光る古りしこけしの瞳にも  熊谷幸二郎 (はるひかる ふりしこけしの ひとみにも) エッセイ風自分史・三郎 その二二  文通の功罪 武田金三郎 かつて抒情文芸『灯《ともしび》』という月刊誌があった。この誌は短歌,俳句,詩,エッセイなどの投稿で成り立っていて、短歌では生方たつゑが選者に名を列《つら》ねているところをみるとそこそこのレベルはあったと思う。 小滝《こたき》担当区事務所当時、私は不定期ながらこれを講読していた。何回か、ここに詩を投稿したものの一度も掲載されたことがなかった。ところがエッセイを投稿したら一発で掲載された。山奥の日常を描いた、原稿用紙三枚そこそこのものであったと記憶している。 これが載って間もなく、未知の女性たちから次々と文通を希望する手紙が舞い込んできたのである。初めは胸がトキめいたのだが、十通や二十通どころではないのだ。無視することもできないので断りの返事を書くのにそれこそ参ってしまった。それでも五人と手紙の交換をするようになったのだが、これはこれで楽しかった。けれど返事を出すと折り返して届くものだから、誰にどんなことを書いたか曖昧《あいまい》になったり、返信の相手を間違えたのではないかしら、などと悩まされることしばしばであった。 そうこうしているうち、大学を卒業したばかりで分校に赴任してきた女性教師と交際するようになったのである。何につけ潔癖《けっぺき》を旨《むね》としている私のこと、彼女と交際していながら、五人もの女性たちと文通を続けることが心苦しくなったのであった。そこで彼女たちに率直にいきさつを伝え、終止符を打つことにした。 彼女たちはこれを祝福してくれたか。群馬県伊勢崎市の女性は五人の中で最も元気がいい。彼女から担当区事務所に「おめでとう」の電話があっって、これにはシドロモドロとうろたえ、受話器を置いた手に冷や汗が。 滋賀県の女性からは「武田さんからのお便りを拝読し、ポロポロと涙が止まりません。いつまでもお兄さんでいてほしかった」とあって、文通なるものへの罪を感じてしまった。 宮崎県の女性は車椅子の重度身障者であった。 私は彼女だけには恋人ができたことをどうしても告白することができなかった。それで心機一転、北海道の営林署に勤務することにした。ついてはこれまでのしがらみ一切をリセットしたい、などと苦しい嘘をついてしまった。そうしたら「青函連絡線からこの写真を海に流してください」とあって一葉の写真が同封されてきた。 車椅子の女性の瞳は真っ直ぐにカメラのレンズに向けられ、レンズのように透明で澄んだ二つの瞳がそのまま私に向けられていた。彼女が健在なら今は優れたエッセイストになっているのではないか。今もってそう思わせるほど彼女の文章は突出して優れていた。それで私も彼女には誠心誠意、真向かって手紙を書いた。彼女への最後の手紙ほど後味の悪いものはこれまでない。むろん後悔している。 文通した四人の名前など、今では姓すら忘れた。けれど1人、宮崎県の女性だけは姓も名前もはっきりと記憶している。原因は最後の手紙で私が嘘を書いてしまったこと、彼女が同封してくれた写真の瞳である。仮にあの写真が文通の最中に届けられていたら、今の私がどうなっていたか分らない。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先) 〒011−0943 秋田市土崎港南3丁目2の58 秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018−845−7772 (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。