6.みんなの広場 皆様から投稿していただきました。 俳句の投稿 熊谷幸二郎さん 鼻歌や肩に止まりし赤とんぼ  萩野ケイ (はなうたや かたにとまりし あかとんぼ) 秋明菊すっとたちたる草の丈  宇佐美咲子 (しゅうめいぎく すっとたちたる くさのたけ) 場所変えて叢変えてなくちろろ  熊谷幸二郎 (ばしょかえて くさむらかえて なくちろろ) 斎藤一三《かつみ》さんの投稿     (桂文珍著・文鎮の歴史人物おもしろ話)を聞いて思いだしたこと。 この図書は、国内外の歴史上の人物について具体的語ったものであるが、著者が落語家であることからして、さぞかし歴史上の人物について「おもしろおかしく」書いてるとオモッテましたが、以外にも「真面目な内容」であり、私が歴史をならってた頃に本書が手元にあったならばもっと歴史の成績がもっとよかったのに? とはいえ、私には特異な教科は全くなく、学校で楽しいことといえば「昼の給食時間」だけであった。 国内では戦国時代から明治時代の人物であり、図書を聞いてるときには、なるほどとうなずいても、この原稿を書いてる頃にはすっかりと忘れてしまい思い出せないのである(豊臣秀吉や徳川家康だけは覚えてますが)、この「にのみや金次郎」については、思い出したことがあるのです。 それは私が小学校に入学した学校の小門に銅像がたっており(たきぎを背って本を読みながら歩いてる姿であった)、この銅像の前で入学記念写真をうつしたものであり、ついでに銅像に向かって手を合わせて「立派な大人になれるように」と願ったものである(今に思えば先生にやらされたのかも?)、あれから60数年「立派のつもりが今はカッパ?」。そして明治時代の人物は現在の「お札」にも登場してるのもあり、今は見られなくなった「百円札」にも登場した人物もいたのである。この百円札については、私より年上のかたならば覚えてると思いますが(ちなみに私は昭和21年生まれの73才である)この百円札について、幼い頃に冬になると母親から「魚屋でローソクホッケ(冷凍ホッケ)を買ってくるように」と百円札をたびたび渡されたものである。 海外の人物については、西暦でかかれてるので、国内の戦国時代から明治時代頃と推察しましたのであり、思い出した者いたが(クレオパトラー)は覚えてないが、初めて聞く人物がおおかったのであるが「ジンギスカーン」について思い出したことがあり、私が小学生頃に、妹が泣きやまないと「モウコ人が来て連れて行くから」と言うと泣きやんだものであった。 このことは母親もよく使ってましたのである。このモウコ人とは、モンゴルの遊牧民であり、一時アジアでは恐れられた人物であったようであるが、はたして日本にまできてたのかは不明である。おわり。 エッセイ風自分史・三郎 その一九  デデデデデン・デデデデデンと赴任する 武田金三郎 1964年(昭39年)、東京オリンピックがあった年、私は三度目の公務員試験を合格、面接も。米内沢《よないざわ》営林署小滝《こたき》担当区事務所勤務の辞令を受けた。ここは奥羽本線鷹巣《たかのす》駅から阿仁合線(現秋田内陸線)に乗り換え、阿仁前田駅に下車し、小又《こまた》川を遡ること十六キロ奥、戸数十八の集落にある。 阿仁前田からはバスが出ているが、途中十キロ地点の森吉集落が終点になっていた。このバスさえ雪のない季間限定であった。山奥の人々にとってもう一つの重要な足がある。国有林から搬出される木材を運搬する森林鉄道である。人々はこれをガソリンと呼んでいた。けれど森林鉄道は経由のディーゼル機関車が牽引する。これ以前は蒸気機関車であった。しかしこれもまた雪のない季間限定なのだ。 私の辞令所は四月一日付をもって小滝担当区事務所赴任を命じたものになっている。なのにこの日は赴任できなかった。というより不可能であったのだ。 この日、本署の米内沢営林署に行ったところ、現地はまだ雪に覆われていて阿仁前田駅から先は徒歩になる。車が通れるまで本署経営課にでもいなさい、とのことであった。そうして現地が開通したのがゴールデンウイーク明けのことであった。 「革靴で行けますか」経営課の先輩に少し不安になって尋ねたら笑われた。それでゴム長靴を買った。開通したとは言え、バスはまだ。阿仁前田駅からは朝市に買い物に来ている小型トラックに便乗するように、とのこと。小滝集落の一つ手前、深渡《ふかわたり》集落がある。ここの造林請負業者、新林勝雄のトラックだという。 小型トラックの荷台には幌がかけられていて、集落の小母さんたち五、六人が買い物をした荷物と一緒に乗っていて、私もここに乗せられた。道路は未舗装、それも雪解け途上、氷並みに固くなったわだちが所々で凹凸《デコボコ》になっているものだから、走ったとたんにデデデデデン、デデデデデンと荷台の縁に乗せている尾低骨を叩きつけるのだ。 そこに小母さんたちから矢継ぎ早に質問攻めにされ、出生地は言うに及ばず、履歴書にないあれこれまでしゃべらされてしまった。深渡《ふかわたり》集落でトラックを降りた先は除雪をしていない雪道、ここを三キロほど歩かなければならない。小滝集落から買い物に来ていた小母さんが1人いたので、彼女と同行することになったのはいいけれど、朝市で買った荷物の一つを持つはめになった。 小又川に沿った雪道、両岸は傾斜の大きい峰が連なっていて、雪解けを集めた川の流れは早くて濁っている。二人きりになると、小母さんはとたんに無口になったので私は思索する。 こんな山奥に人間はどうしてへばりついていなければならないのだ。その気になったら、もっと便利な土地に移転できるだろうに。私には不思議としか思えない。 しかもこの先、まだ四つも集落が点在している。最奥集落は阿仁前田駅より二十三キロある。そんな奥地にも人は暮らしている。二十歳の私には不思議でさえあったものだ。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。 お預かりした作品は、「点字図書館だより」内「みんなの広場」でご紹介させて頂きます。 (送付先)   〒011−0943 秋田市土崎港南3丁目2の58  秋田県点字図書館 (FAXを利用の場合は) 018−845−7772 (メールを利用の場合は) アドレス tenji@fukinoto.or.jp いずれも「みんなの広場」係まで お電話での聞き取りでも可能です。