6・みんなの広場  皆様から投稿していただきました。 俳句の投稿 散策や触れてみて知る初蕨    萩野ケイさん (さんさくやふれてみてしるはつわらび) 小刻みに羽震わせてさえずれり    宇佐美咲子さん (こきざみにはねふるわせてさえずれり) 村つなぐ令和のアーチ鯉幟    熊谷幸二郎さん (むらつなぐれいわのアーチこいのぼり) 母の日に五十二年分の花届く    柿崎妙子さん (ははのひにごじゅうにねんぶんのはなとどく) エッセイ風自分史・三郎         その一四 急性緑内障?                       武田金三郎さん  高校二年の新学期が始まって間もなく、林業科の実習で学校横にある苗圃(びょうほ)で杉苗の床替(とこか)え作業をしていた。作業が始まって一時間ほど、左目の下瞼(したまぶた)が潤んだような感覚になり、その部分が見えなくなっている。指で触れても涙が溜まっているわけではない。なのに潤み感は次第に上昇し、右目を塞いで左目だけで見ると、上昇した分の視力が欠落していっているのが分る。  午前の実習が終わって、教室に戻ったときは左目がまるっきり見えなくなっているではないか。痛くも痒くもなく、摩訶不思議(まかふしぎ)としか言い様がないとはこのことだ。  翌日、母と秋田市の眼科医院に行ったのだが、大きな病院で診てもらうように、と言われて帰された。翌日出直した日赤病院では「痛くなかったの?」と何回も念を押されたが、前日の医院でも同様であった。急性(きゅうせい)緑内障(りょくないしょう)を疑ってのことで、これには眼圧(がんあつ)高進(こうしん)に伴(ともな)う激しい頭痛が診断の必須要件とされている。私はしかし、痛くも痒くもなかったことで医師を困惑させた。  こうして直ちに入院となった。左眼だけでなく右眼もいつ発症するか分らないとのこと。入院して間もなく、東京にいる三番目の姉が駆けつけてきた。隣近所の人も、親しくしていた数人の友人も。後で知ったが、医師は今のうちに会わせてあげたい人がいたらなるべく早くそうさせておいた方がいい、と母に告げていたのである。命がどうというのではなく、見えるうちに、ということだ。  「三郎、少し早いども千秋公園さ花見に行ぐべ」  日赤病院と千秋公園は歩いて十分くらいの近さにある。桜はようやく膨らみかけたばかり、それでも私に最後になるかもしれない花見をさせておきたかったのだろう。周囲の切迫感は私にも察知できた。私は腹をくくった。『見えなくなったら見えなくなったまでのことだ』  これはしかし腹をくくったのでも居直ったのでもなく、途方にくれて心の中で呟いてみただけである。  三階の病室、真下に道路があって向こうが中通り小学校、歩道脇の電柱には映画『ソロモンとシバの女王』の大きな看板。そこを修道女風の制服を着た聖霊女子高校制たちがさんさんと通っていく。左目だけで見ると何も見えない。  左目が三,四時間でこうなったように、いつまた右目も冒(おか)されるのか。近い将来必ずそれがやってくる。眺めているうち、これが確信になっていく。すると涙でソロモンも女王も聖霊女子高生も見えなくなった。  ところがどうしたわけか、見えなかった左目が徐々に回復していったではないか。緑内障なら絶対あり得ないことだ。一ヵ月の入院で視力が〇,五まで回復した。けれど視野が狭く直線がジグザグに見える。これ等は緑内障と網膜(もうまく)色素(しきそ)変性症(へんせいしょう)双方の随伴(ずいはん)症状である。  「なるべく目を使わないように。不十分な照明で文字を読むのは避けなさい」  退院の日、吉村一郎医師が言った。それで勉強を放棄することにした。怖かったのだ。 ○皆様からの投稿について 「点字図書館だより」に、読んだ本の感想や、体験談、短歌・俳句など利用者の皆様からの投稿をお待ちしております。