4.みんなの広場 〇秋田市の浅井成雄さんより投稿いただきました。 「面影橋哀歌」 浅井成雄(六十代) 秋田奉行所与力大場嘉門《おおばかもん》は科《とが》人弥太郎《やたろう》を引いて刑場に着くと、手前のそば屋に入った。 「お上《かみ》のお慈悲だ、さあ食べなさい。」弥太郎はひと口箸をつけたが喉など通ろうはずもない。 刻限となり最後の場所へと草生津川《くそうづがわ》を渡った。そのとき水に映る己が面影を弥太郎はどんな思いで眺めたことだろう。以来この場を面影橋と呼ぶ。 秋田市の背骨旧国道をてっぺんの高清水から南へ、つまり土崎港とは反対に向かい、下りきった所が面影橋である。 ここまでの道のりが寺内地区で、この先右へ曲ると県立体育館から県庁市役所、真っ直ぐは通町方面だ。私が秋田駅へ利用するバスもここで分かれる。 ここら辺りまでが久保田の城下となろう。だから罪人の処刑場を端っこに置いたのだと思う。そして物語たったような光景が繰り広げられたに違いない。十両盗れば首が飛んだ時代だ。そば屋もあったそうだ。 もう一つ、街の外れに持ってかれたのが遊里(遊ぶ里)だった。何かで読んだ。毎夜商家の檀那《だんな》連中で賑わい三味線の音が遅くまで絶えなかったとある。 秋田市の中央部に今も茶屋町という名がある。私は初めそこを芸者衆の花街《かがい》だと感ちがいしていた。料理屋などは茶屋(・・)だからだ。お茶の葉を商う店だと後で知った。佐竹の殿様が不粋なわけでもあるまい。風紀に気配りしたのかも知れない。 実を言うと私にとって面影橋は東京目白の彼の地になる。神田川を跨ぎ、現在では唯一走っている都電荒川線の停留所にその名が残る。ここの謂れは聞いてない。 フォークグループかぐや姫が唄う名曲「神田川」の世界だ。思いを拡げてもらうといい。私は学生のとき面影橋を詞にした。 (うた)都電待つ きみの横顔トワイライト さよならと つぶやく口元春の風 フルル フルールなみだ風 心の隅を撫でてゆく 教えてほしい面影橋 ああ君一人 いま何処(うたおわり) オモカゲだかモノカゲだか判然としない詞だ。ギターを演る仲間が曲をつけてくれたが、座興なので憶えていない。(おわり) 〇視覚障害者俳句サークル「千秋句会」さんより俳句の投稿いただきました。 ・あう人も 別れる人も 春の服  萩野 けい さん ・草餅や 使ひ走りの 隣村  熊谷 幸二郎 さん ・凧揚げや わんぱく親子 睦まじき  宇佐美 咲子 さん 〇三種町の武田金三郎さんより投稿いただきました。 秋田県一短い小説・その八 パンパラパンと 家に帰ると妹のユミリが母が用意しておいたおやつのクッキーを皿に三個ずつ分けていたところであった。二人は牛乳を飲みながらこれを食べると隆登《りゅうと》はユミリと一緒に家を出た。ユミリは小学四年生、隆登は中学一年生である。 隆登はユミリを学童保育を併設している公民館に連れて行き、自分は昼休み時間に約束していた同級生の拓馬《たくま》の家に遊びに行く。 隆登の父は薬剤師をしていて母は専業主婦である。拓馬の父は長距離運転手で、家に帰るのは月のうち数日、帰ってもたいてい眠って過ごすらしい。母はそこの会社でパートだと言っていた。 隆登の家族は百六十平方メートルの家に住んでいて、父は休みだとたいていゴルフ、月に一,二度は母も一緒にゴルフをする。父にも母にも友達が沢山いて、とりわけ母は平日でもあっちこっちと出かけている。こんな生活ができること、父と母の実家が応援しているから。市営住宅の拓馬には自分の部屋はない。二人は学校から帰るとどちらかの家に行き、ゲーム機で遊んだりテレビをいじくったりして夕刻まで過ごす。外をブラつくのは月の初めにお小遣いを貰った後の数日くらいのものだ。 「お前等、俺が帰るといっつもゲームばっかりじゃねえか。そんなことだと俺みてえな大人にしかなれねえぞ」 「平気だよ、なあ」 拓馬が即答してから隆登に顎をしゃくってみせる。そうして母ときたらこの父より鉄火で、父が一言言うと三口も四口もまくしたてるのだ。ここの家はいつ来てもちらかっている。いつだったか、隆登が拓馬の父が持ち込んだ週刊誌のヌードグラビアをめくっていたところを拓馬の母に見つけられたけれど何も言わなかった。要するに無関心なのだ。 こうしていながら隆登は焦りに似た不安を持つようになってきている。自分はどんな大人になるのだろう。これであった。大地震があって原発事故があったのは小学一年生になろうとしている三月のこと。記憶はある、けれど本当の怖さは六年生のころから徐々に分ってきている。あれほど怖い原発を大人達がまだ作ろうとする不思議。地球温暖化。世界のあっちこっちで戦争が絶え間なく続いていることも。それで多くの子どもたちまで難民になったり、銃を持たされてむりやり兵隊にされていることも知った。 隆登の両親はテレビでも新聞でもこれを見たり読んだりすることはない。むろん拓馬の両親も。校長や担任その他の教師たちが言うのは勉強と進学ばかり。ときどき命を大切に。けれどこれはしゃぼん玉。言葉だけで中は空っぽ。大人たちはどうしてパンパラパンと言ってのけるのだろう。自分はパンパラパンな大人にはなりたくない。今、彼の周囲に自分が思いっきりぶっつかって行ける大人がいない。隆登の焦りと不安はここから発している。がそこにすら気がついていない。それ故に焦りはさらに募っていく。 〇最後に、ご利用者様からのご希望によりこのコーナーにて料理レシピをお届けします。 今月は、春を先取りしたレシピをご紹介します。 菜の花ごはん 春の風味と彩りを混ぜ込んだごはんでひと足早く春を楽しみませんか? 材料(2人分(1合分)) 米  1合 合わせ調味料 酒  大さじ1/2 合わせ調味料 薄口しょうゆ  小さじ1/2 合わせ調味料 塩  小さじ1/2 合わせ調味料 だしの素(※昆布だし・食塩無添加のもの)  小さじ1/2 菜の花(長さを1/2に切った上部のみ)  1/2束分 卵  1個 塩  少々 砂糖  少々 白ごま  小さじ1 ガリ生姜(あれば)  適宜 作り方 @米は洗ってから(1合分−大さじ1/2)の水を加え、30分ほど吸水させる。その後、合わせ調味料を加えて軽く混ぜ普通に炊く。 A菜の花は沸騰した湯に塩少々(分量外)加えた湯で30秒ほど茹でて冷水に取り、水気を切る。蕾の方は少し形を残し他は刻む。 B小さめのフライパンか鍋に、材料の卵、塩、砂糖をよく混ぜたものを入れ火にかけて、菜箸数本をまとめたものでよく混ぜながら炒り卵を作る。 Cご飯が炊き上がったら5分蒸らした後、A、B、白ごまを加えて3分程、再度蒸らす。切るようにさっくり混ぜて完成。 Dおむすびにしてお弁当などにも。彩りにガリ生姜を添えると綺麗です。(または細かく切ってトッピングしたり、混ぜ込んでも。) E混ぜる時に味見をして、薄いようでしたら塩で味を調えてください。またメニューによってはごま油少々を加えても美味です♪ F※だしの素は今回は食塩無添加の顆粒の昆布だしを使っていますが他に、5p程度に切った昆布を入れて炊いても、鰹だしでも。 G食塩が含まれているものを使う時は、調味料の塩の量を調整してください。 コツ、ポイント ご飯に芯ができやすいという方は、最初に充分吸水させた後、塩を加えたらすぐに炊くようにするといいと思います。炒り卵は最初は中火、卵がとろりとしてきたらすぐ火を弱め、しっとりしたら火を止めます。今回は若干細かめの炒り卵ですが、お好みでどうぞ。 *レンジで?あさりと春野菜のトマト蒸し* 春キャベツと新玉ねぎを入れた、レンジで作るお手軽春 レシピ? 材料(2〜3人分) あさり  300g 春キャベツ  3枚 新玉ねぎ  1個 トマト水煮缶  1缶 コンソメ顆粒  小さじ1 にんにくみじん切り  2カケ 塩、胡椒  少々 作り方 @あさりは塩水に入れ砂を吐かせます。目安:水5カップ対塩大さじ1で30分〜2時間 冷暗所(冷蔵庫) A砂抜きしたら、ザルに入れ擦り付けるように洗い、水を切っておきます。 Bキャベツはざく切りにし、玉ねぎは太いくし切りにする。 C耐熱皿にキャベツ→あさり→玉ねぎ→にんにく→コンソメ→塩胡椒をしてトマト缶をドバッとあけたら、再び塩胡椒。 Dラップをしてレンジで加熱する。(500W 15分) コツ・ポイント タバスコや粉チーズも合います? 以上、「cook pad」掲載記事から抜粋しました。 他に何か、ご希望・ご意見がありましたら、お知らせください。お待ちしております。