4.みんなの広場 ○秋田市の浅井成雄さんより投稿いただきました。 「心が優しくなる」  浅井 成雄(六十代) @気になる一冊だった 2016から17の年末年始は、住井すゑ作「橋のない川」全7部を読 んだ。住井さんは「暮しの手帖」誌に随筆「牛久沼のほとり」を連載して いて、穏やかな文章を書く作家だと思った。だから部落問題を扱ったこの作品と作者が結びつかない気になる一冊だった。 A実録文学 明治・大正期の奈良県大和地方が話の舞台。当時根強くあった被差別部落で人々は謂れのない差別に耐え苦しみ日々を暮した。 世は天皇制の時代である。学校、結婚、あらゆる面で差別された。やがて若い人を中心としてこの不合理に抗する動きが興き、大正11(1922)年、人間は平等を旗印に掲げた全国組織水平社が結成された。 ここまでと、そしてその後暫くをこの小説は書いている。大正7年の米騒動や12年関東大震災など世相も織り込み、謂ば実録文学だと思う。因みに題名は作中次の表現がある。「隣字は目と鼻の先だが、差別を受けるこことは往き来がない。間に大きな川、しかも橋のない川がある。」 B今日的な問題 水平社は後に部落解放同盟となる。本稿では深入りしないが、表向き差別は見られなくなった。ただ、犠牲はいつも子供たちなのだ。 橋のない川の小学校でいじめられた子供が、親に心配かけぬよう何でもないと嘘つく場面がある。今日でも聞く問題ではないか。作者も涙しながらペンを走らせたに違いない。読むと心が優しくなる本である。 C作者の姿勢 社会の暗い部分を題材にした作品だが堅苦しさは感じない。全篇、初めに触れた牛久沼の筆である。狭い地域でお互い助け合って生きる人々を温 かい目差しで描いている。 その中に一人のオバンがいる。大きな口でばか笑いする開けっ広げだ。 ご近所への気遣いを忘れず孫の面倒見もよい。東京下町、私の母を想い出した。 (引用)春から今頃にかけての黄昏は生駒の山から盆地の中心に向いて拡がって来ます。初めは薄い水色で次いで紫になり、それが紫紺に変わり、終いに灰紫になって夜につながります。しかしそれは晴れた日のことで、雨の日は黄昏は雨と一緒に空から降りて来て夜と手を握ります。それが夏になりますと、黄昏は生駒の山ひだに足踏みしていて仲々盆地に下りて来ません。 このような情趣たっぷりに綴られる四季折々の農村風景は、読む者に安らぎを与えてくれる。(おわり) ○視覚障害者俳句サークル「千秋句会」さんより俳句の投稿いただきました。 ・痩せぎすの 地肌に刺さる 寒の風  熊谷 幸二郎 さん ・朝晴れや 峰より臨む 冬景色 宇佐美 咲子 さん ○三種町の武田金三郎さんより投稿いただきました。 秋田県一短い小説・その七 慈母観音詣 二月二十日、朝起きたら吹雪になっていた。第一級の寒波がやって来る、と数日前から警告されていたものだ。こうなると三、四日は続くと覚悟しなければならない。ルルルルルと電話が鳴っている。早いな、時計を見たら七時前ではないか。妻に呼ばれて尚治は居間に引き返した。受話器からの声は秋田弁ではない共通語を話す男のものであった。 「菊池洋蔵の長男、晴彦です。父がお世話になっておりました」 そう言われて分った。だがどうして洋蔵でなくて東京で暮らしている息子なのだ。それに「お世話になりました」と言っている。尚治は無言で先を促す。するといきなり洋蔵が死んだと言う。息子によると洋蔵は昨日の午後三時過ぎ、軽トラを運転中に秋田市山王の交差点で事故を起こし、ほとんど即死であった。信号無視であったという。 「親父がいったいなぜ秋田市くんだりまで行っていたか、誰に聞いても心当たりが無いと言うもんで。もしか昔からの親友である尚治さんに何か心当たりでもと思いまして」 「さあ………。それは俺にもちょっと………」 尚治はそう言ってからお悔やみを述べた。だが心当たりはある。二人は小学校当時からの親友であった。彼洋蔵は文字通り水呑百姓の四男で妹が二人いる。彼は中学を出て大工の下働きをしていたのだが、二十二歳で隣町の農家に婿養子として入っている。 結婚の翌年、彼洋蔵には長男が授かり、一,二年置きに娘二人をもうけた。長男も娘たちも社会人になると同時に都会に出て、彼等夫婦は六十歳前から二人きりの生活になっている。妻は腰がどうの膝が股関節がどうのと医者通いをしていて何回も手術をした挙句、七十歳には車椅子生活になってしまった。 のみならずここ数年前から認知症が発症してしまい、今では週二回、デイケア施設に通所している。洋蔵が彼の言うところの慈母観音詣に出かけるようになったのは妻が認知症と診断されて間もなくのことであった。 「婿だ婿だど軽蔑されながらよ、苦労して子どもたちを育て上げだど思ったら女房が車椅子だべ。今度は認知症だっていうでねえが。八十歳になって食事がら下の世話までやってるよ。女房には悪いど思うどもつい走ってしまうんだ」 洋蔵には月額十四万円の年金があって隔月ごとに振り込まれる。振り込まれた数日後、妻がデイサービスに出かける日、彼は秋田市のソープランドに走るようになっていた。 「俺みでえな貧乏爺だってよ、あの女《こ》だぢは本当によく尽くし てけるよ。あの女だぢは俺には慈母観音様だ」 二ヵ月に一度の慈母観音詣が彼の唯一の潤いになっていた。昨日の午後、天気はすでに荒れはじめていた。洋蔵は妻の帰宅時間に遅れてはならぬ、と焦るあまり、信号が赤に変わる寸前に突っ込んで行ったに相違ない。 尚治は寒さも忘れ、電話機の前に呆然として立ち尽くしていた。 ○最後に、今月は「点字毎日」の『キッチンコラム』に掲載された、「弱視者の適量イメージ作り」弱視者の立場から分量についてお話しします。 料理番組や本には、弱視者では理解しづらい表現が出ます。例えば「塩少々」や「砂糖適量」「盛り付け時は、色合い良く散らします」「しょうゆをたらーと垂らします」「キツネ色になるまで加熱します」です。何となく表現や雰囲気で分かったつもりになりますが、いざ料理を作るとなると戸惑います。 調味料の分量については、少々も適量も「味見」が大事という結論に至りました。味見をして、調味料の味がついていればよいです。「塩少々」と書いてあると、どの程度か悩みます。ですが「塩1.8c」と書かれても、そんな正確には量れません。経験で料理するしかないのです。少々も適量も少なめという解釈でよいと思います。少々とひとつまみでは、ひとつまみの方が多めです。適量は味の好みに合わせると判断します。少々、ひとつまみ、適量の順に量が多くなるイメージです。入れすぎないよう、少量ずつ味見をしながら入れ、ほのかに香る、味がする状態にもっていきます。 料理を教わる時には、できるだけ具体的に説明してもらうことが大切です。途中途中、味見をさせてもらうと、わかった気分で終わることはありません。また、失敗から適量をより自分の適量に近づけられます。多少味がしなくても、辛くても料理を続けることが適量のイメージ作りにつながります。 以上、「点字毎日 第946号」より抜粋しました。 他に何か、ご希望・ご意見がありましたら、お知らせください。お待ちしております。